地元でブールバールと呼ばれ、西条駅から広島大学へ続く
街道のとあるバス停に降り立つことから、私の休日散策は始まる。
石ヶ瀬橋を渡り中央図書館が右手に見えてくるまでの上り坂が、
この散策の第一関門だった。この散策を始めた頃のことを思い出す
体力もなく,体も未だ温まっていない体で、この坂道を息を切らせながら
歩き上っていたことが、今ではウソのように思える。
あの頃から比べると体重も20Kgは減った。
去年の9月から減量をはじめ、始めの1ヶ月で4キロ,10月に3.5キロと、
ウソのように体重が減っていったのも、上り下りの坂で連なるこの
散歩道も一つの理由かもしれない。多くの人がこの道をウォーキングやジョギングの
コースとして選ぶのは、街路樹に囲まれ,敷き詰められたカラーブロックの
幅広の歩道という単純な理由だけではないようだ。
中央図書館前を下り降り、国道2号線の下をくぐると、今度はまた上り坂になる。
ここ20年で近頃急激に人口が増えたとはいえ、ここは、
もともと賀茂の大地の中にある山間の町であった。
この道も山を切り崩し人工的に作られたものである。
ナルホドここまでくると、廻りにはビルも人家さえもなくなる。
道の周りにあるのはあるのは街路樹と街路灯のほかは山の木々と
小鳥の囀(さえず)りだけという有様だ。
森の中を走る車の嘶(いなな)きが、なんとも無粋である。
ただ、都会の方々が車のすぐ横に従えられながら、
歩かれているのを見ると、幸せと思うべきかもしれない。
最初の一歩の激しさはないが、鏡山2丁目までの長い上り坂を
胸突き八丁と呼んでもいいだろう。
実を言うと、この道の途中には、古びた学生アパートと広島大学付属幼稚園はある。
あることにはあるが、休日の早朝のためだろうか?学生のザワメキモ,園児の笑い声も聞こえない。
行きかう人は、散策人とジョギング族だけだ。マッタクもって静か奇妙。
身も知らない人,始めてあった人ながら、こういう場面では どちらともなく
「おはようございます」の声が交差する。
オオラカサは人を無防備にするのだろうか。
ここから、折り返し地点である広大前交番までは、下り坂が続く。
林の中を駆け出したい衝動は、抑えるべきだ。
存外、上り坂より下り坂の方が負担が大きい。一段飛ばしで
駅の階段を上ることはできるが、逆に飛ばして階段を下りることは
できないのが、何よりの証拠だ。屁のツッパリにもならない理屈である。
口では強がりを言っていても、歳をとったためだろう。
まあ,いいか。その代わりと言っては何だが、折り返し地点を過ぎ、
鏡山2丁目までの頂上付近までは、軽いジョギングをすることもある。
また、気が向けば、折り返し地点から下に曲がり、鏡山の向こうに広がる
生産学部の実験農場を廻り、同じく鏡山2丁目に帰ったりもしている。
このことは、家族には黙っている。「お父さん、年寄りの冷や水よ。」
なんていわれかねない。
帰り道に鏡山公園によって帰るのも楽しみの一つだ。園内には全周1.4キロ
あまりの散策コースがある。この季節,もはや桜は散っているが、青葉や池を
渡る風も爽やかだ。なにより、園内を歩き回った後に休息所で廻りの木々に
精気をもらいながらの一服は、格別だ。うん?何かおかしい。
この公園から、鏡山城跡の山頂に登ることもあるが、近頃はご無沙汰している。
なぜかって?カブレノ木や毛虫でカブレるかもしれない。なによりマムシが怖い。
なんたって怖じんだ。体を休めたら帰路につく。
行きの歩みは速いが、帰りの歩みはクールダウンの意味を含め
ユックリを旨としている。ユックリと大きな歩幅の組み合わせ。
正直言うと、足に何故か違和感を感じることが多々あるためだ。
散策の楽しみの一つには、寄り道もあるのじゃないだろうか。
開いたばかりの中央図書館に寄ったり、その先にある三ヶ城古墳公園
に足を伸ばすこともある。道すがらの本屋で新刊に目を通す,
ブックオフによって掘り出しものがないか目をさらにする。
ともかく。。。ゴールのローソン前に着き、一本のタバコを
吸うことで、私の休日散策一万歩は終了する。
街道のとあるバス停に降り立つことから、私の休日散策は始まる。
石ヶ瀬橋を渡り中央図書館が右手に見えてくるまでの上り坂が、
この散策の第一関門だった。この散策を始めた頃のことを思い出す
体力もなく,体も未だ温まっていない体で、この坂道を息を切らせながら
歩き上っていたことが、今ではウソのように思える。
あの頃から比べると体重も20Kgは減った。
去年の9月から減量をはじめ、始めの1ヶ月で4キロ,10月に3.5キロと、
ウソのように体重が減っていったのも、上り下りの坂で連なるこの
散歩道も一つの理由かもしれない。多くの人がこの道をウォーキングやジョギングの
コースとして選ぶのは、街路樹に囲まれ,敷き詰められたカラーブロックの
幅広の歩道という単純な理由だけではないようだ。
中央図書館前を下り降り、国道2号線の下をくぐると、今度はまた上り坂になる。
ここ20年で近頃急激に人口が増えたとはいえ、ここは、
もともと賀茂の大地の中にある山間の町であった。
この道も山を切り崩し人工的に作られたものである。
ナルホドここまでくると、廻りにはビルも人家さえもなくなる。
道の周りにあるのはあるのは街路樹と街路灯のほかは山の木々と
小鳥の囀(さえず)りだけという有様だ。
森の中を走る車の嘶(いなな)きが、なんとも無粋である。
ただ、都会の方々が車のすぐ横に従えられながら、
歩かれているのを見ると、幸せと思うべきかもしれない。
最初の一歩の激しさはないが、鏡山2丁目までの長い上り坂を
胸突き八丁と呼んでもいいだろう。
実を言うと、この道の途中には、古びた学生アパートと広島大学付属幼稚園はある。
あることにはあるが、休日の早朝のためだろうか?学生のザワメキモ,園児の笑い声も聞こえない。
行きかう人は、散策人とジョギング族だけだ。マッタクもって静か奇妙。
身も知らない人,始めてあった人ながら、こういう場面では どちらともなく
「おはようございます」の声が交差する。
オオラカサは人を無防備にするのだろうか。
ここから、折り返し地点である広大前交番までは、下り坂が続く。
林の中を駆け出したい衝動は、抑えるべきだ。
存外、上り坂より下り坂の方が負担が大きい。一段飛ばしで
駅の階段を上ることはできるが、逆に飛ばして階段を下りることは
できないのが、何よりの証拠だ。屁のツッパリにもならない理屈である。
口では強がりを言っていても、歳をとったためだろう。
まあ,いいか。その代わりと言っては何だが、折り返し地点を過ぎ、
鏡山2丁目までの頂上付近までは、軽いジョギングをすることもある。
また、気が向けば、折り返し地点から下に曲がり、鏡山の向こうに広がる
生産学部の実験農場を廻り、同じく鏡山2丁目に帰ったりもしている。
このことは、家族には黙っている。「お父さん、年寄りの冷や水よ。」
なんていわれかねない。
帰り道に鏡山公園によって帰るのも楽しみの一つだ。園内には全周1.4キロ
あまりの散策コースがある。この季節,もはや桜は散っているが、青葉や池を
渡る風も爽やかだ。なにより、園内を歩き回った後に休息所で廻りの木々に
精気をもらいながらの一服は、格別だ。うん?何かおかしい。
この公園から、鏡山城跡の山頂に登ることもあるが、近頃はご無沙汰している。
なぜかって?カブレノ木や毛虫でカブレるかもしれない。なによりマムシが怖い。
なんたって怖じんだ。体を休めたら帰路につく。
行きの歩みは速いが、帰りの歩みはクールダウンの意味を含め
ユックリを旨としている。ユックリと大きな歩幅の組み合わせ。
正直言うと、足に何故か違和感を感じることが多々あるためだ。
散策の楽しみの一つには、寄り道もあるのじゃないだろうか。
開いたばかりの中央図書館に寄ったり、その先にある三ヶ城古墳公園
に足を伸ばすこともある。道すがらの本屋で新刊に目を通す,
ブックオフによって掘り出しものがないか目をさらにする。
ともかく。。。ゴールのローソン前に着き、一本のタバコを
吸うことで、私の休日散策一万歩は終了する。