2007年10月



 女が書くというブログというものを 男の私も書いてみた。

寂しさの徒然に、男の気持ちをシタタメテいます。

- 男 辛之 作 -




 マッタク、雨の降る日は天気が悪い。

物忘れのヒドイ私に似てか、うちの子はよく物を忘れる。

子供が物を忘れると、ヤッパリ、血は水より濃いのね。

私の方を見ながら家内は、烈火のごとくおこる。

情けは人のためならず。これが家内の口癖だ。

チョット待て、言葉の意味が違うじゃないか?

それじゃ子供がかわいそうじゃないかと思うけど、

あちらを立てればこちらが立たぬ。

物言えば唇寒し秋の風。

いつもの事よと、子供は黙って下を向く。

論より証拠、屁の河童。

しばらくたって私にササヤク子供の一言。

「母さんも、人のふり見てわがふり直せ。」

おいおい、今度は使う場面が違うんじゃないか。

でも、心配ご無用。

お腹を痛めたわが子は、目に入れても痛くない。

しばらくすると、子供を呼ぶ猫なで声が聞こえてくる。

だから私は、火中の栗を拾いたくない。



 先日また、子供が電車の網棚に忘れ物をしました。

家に着いた途端、忘れ物に気が付いた子供は、

藁にもすがる思いで、駅へ引き返しました。

窮すれば通ず。幸い近距離間を走るCity電車でしたので、

次の日には子供の降りる駅で受け取る事となりました。

子曰く「これって、塞翁が馬だね。」

私は、この日ばかりは我慢できなくなって子供に言いました。

「違うだろ、不幸中の幸いじゃないかな。」

そもそも、忘れ物は先輩よりの預かり物ですから、

まさに、九死に一生だったのかもしれません。

 しかし、一難さって又一難。一寸先は闇。

いつもの如く、いえ、何時も以上の完膚なきまでの雄たけびが、

我が家に響きわたりました。

子供には泣き面にはちかもしれませんが、

もしかしたら、塞翁が馬になるのでは、

あながち間違いではないかも知れないのでは。。。

希望的観測です。

 やはり、馬の耳に念仏だったようです。

腹が減っては戦が出来ぬとばかりに、遅い食事を取る

わが子が、そこにいました。



 やはり、ことわざだけじゃ難しい。

慣用句、故事成語が必要なようです。

4字熟語の助けも欲しい。




      ハマさん日記 出発の章 より


 ゼネコンの意味は総合建設請負業であって、決して総合建設業ではない。

また、サブコンも本来の意味は元請業者から

工事の一部を請け負うSubcontractor(下請業者)であるけれど、

自ら工事をするわけではない。

わかるかな~。わかんないだろ~な。

私もかつては、サブコンと呼ばれる業者に身を置いていた。

 話は変わるが、少し前から仕事(会社,組織)を辞めていとウソブク声を良く聞く。

時々思う人を含めたら、かなりの人数になるんじゃないだろうか。

しかし、心配無用だろう。

人は心に強く強く思い本当に悩んだ時は、

その言葉が安易に口から出ることは無いんじゃないのだろうか。

という事は、見返り給料が少ないとワメクお方は、

俺は「並か」世間様より少し下「中の下」て心で思っていることになる。

私は。。。口に出さない事にしている。(恥ずかしいから。)

言うほど仕事をしてないのも、事実だろう。





あなた、仕事してますか?



 人員削減で働く人が少なくなったのか、それとも、

組織のなかで第一線の現場で働く人よりも、

後方で養う人が増えたためでしょうか。

実際、皆さん昔に比べて忙しくなっている気がします。

でも、おかしい。

仕事の量が増えて忙しくなったなら、仕事の経験が増えて

働く人の能力が向上するはずです。

私の働く世界は、世間様からかけ離れた元々水商売な世界ですから、

先生と呼ばれる世界で例えて考えてみました。

くれぐれも、仮定です!

 どうやら今、学校現場では、先生お一人が受け持たれているお子様の数は、

昔と比べて少なくなったと聞きます。

しかも、昔に比べて、忙しくなったとも聞きます。

という事は、先生と呼ばれる方の能力は、

昔に比べて格段に向上していなければ

成らない事になります。

かつて、私の知っている学校の先生で、

「結果が全てです。過程がどうであろうと、

結果が伴わなければ意味がありません」

とおっしゃった方があります。

教育の究極の成果物を子供と子供の織り成す社会と定義したなら、

問題が多いといわれる教育の世界に身を置かれている教師の方の能力は、

どんなに忙しいと言われようとも、「その能力は低下している。」

と、言わざるおえません。

お許し下さい。○○先生。たとえ話です。阿修羅にならないで下さい。

 これは、教育の現場だけではない様に思えます。

私の見知った世界でも、カツテノ先輩,同僚,後輩達が皆一様に

「忙しい。」「昔に比べて忙しくなった。」といいます。

じゃあ、忙しいほど経験を積んだのだから、

若い方の能力が向上したかといえば、そうとは思えません。

有る面、「本当に基本的な能力においては逆に低下している」

そのように思えてなりません。ここでも、矛盾が生じています。

こんな矛盾は、私の考えている世界だけでしょうか。

それとも、日本中、何処でも起こっていることなのでしょうか。



カンリ君が街にやってきた。



 以下、想像です。妄想です。懸想です。

今、組織の中では管理という書類が、

大手を振って歩いているように思います。

あなたが、行っている仕事の中で、カンリ君に関する仕事がどれほど

あるか、考えてみてください。

かつて、私が会社に入った時には、下請け業者さんにやって頂く仕事ながら、

本当の意味の管理という項目は、皆無といってよかったと思います。

人は与えられた仕事をサボらず一生懸命行う。

性善説とも思える考えのもとに運営されていたと思います。

日本の村社会からの伝統かも知れません。

組織には、はっきり明文化された細かい規約,規範がなかったと思います。

それは、ひとえに、性善説に基いた暗黙の了解によるのではないでしょうか。

管理に関する労力が少なくてすむ、それが生産のコストとして

反映されていたと考えます。

コンプライアンス(企業倫理)という言葉が一時流行しましたが、

かつての日本の組織には、企業倫理どころか、社会人,企業人としての

明文化された規範もありませんでした。

あるのは、組織の為に良い行いをする、それが個人の幸福につながるという

暗黙の了解だけでは無かったのでしょうか。

管理に不慣れで明文化されたルールが存在しなかったという事は、

近頃の食品事件や防衛官僚の方々他でも証明されていると思います。

本当のことをいうなら、これに近いことは我々の属する組織でも、

形を変えて日常的に行われている事かもしれません。

あなた、身に覚えありませんか?

カンリ君が登場したのが先か?暗黙の正義が崩れ去ったのが先なのか?

実際のところ、私にもよく判りません。

ただ、不慣れなカンリ君の扱いに右往左往しているのが、

多くの組織の現状なのではないでしょうか。

確かに管理書類の山の原因として、昔から働きの悪いトップが、

自ら行うべき業務を部下に押し付けるという

「嗚呼、勘違い」の面が、あります。

管理社会という性悪説の社会では、トップやそれに準ずる人々は、

もはやその地位に安楽としている存在であれるはずがありません。

トップ集団が御題目であったなら、その集団に未来があるはずなど

ありません。管理と言う項目が最早不必要だとは言えません。

しかし、訳がわからないうちに、トップに押し付けられた

カンリ君の世話に手を取られ、個人,集団の基本的能力が

低下しているのが、今の現状ではないでしょうか。

「本当の意味の管理とは何か」 「本当の意味の基本的能力と業務とは何か」

考えて見る必要があるのではないでしょうか




 私は、カンリ君が大手を振って歩く組織よりも、

カリンちゃんが、オシリを振って歩く姿のほうが好きです。

ちなみに、AFPニュースによれば、「日本一美しいお尻」の持ち主は

http://www.afpbb.com/rd/a/2248706

18歳の女子高生、(Kaho Watanabe、18)に決定したそうです。

カリンちゃんでも、Kahoちゃんでも、どっち(で?)もいい。

これって、セクハラでしょうか。

ともかく、若い世代に期待したい。頑張れ!「Kahoちゃん」

ご  ブ  レ  イ 。

 本日は薄曇り也。

外に出れば金木犀の香りが漂う。

こちら広島放送局。


美味(うま)い。

旬のイチゴより冬のイチゴが酸味が抜け、

甘みがまして美味しいとよく聞きます。

冬のイチゴはハウスで育ちますが露地に咲くトマトも、

夏より秋に実るトマトの方が、美味しいことをご存知でしょうか。

この時期の廻りの皮が硬くなるほど完熟したトマトは、

夏のトマトにあるアバレ娘のような臭みや酸味が抜け、

熟女のような芳醇な甘い味わいです。

口の中に広がるトマト独特の香りや酸味も僅かに残っていますが、

決して嫌味がありません。

色付きのスピードも、秋の夜長のようにユックリした歩みです。

完熟すればするほど,大よりも小のほうが、

より味わいが凝縮される気がします。

本来トマトは、地球の裏側標高3000mのアンデス高地で、

生まれた植物だそうです。

かの地のトマトは、より酸味が強く味わいが強烈だと聞きますが、

この地では、秋の昼と夜の微妙な寒暖の差にめぐり合って、

この味にめぐり合ったのかもしれません。

季節外れの旬の味を 田舎の庭に花咲く

夏の忘れ形見のトマトから分けて頂きました。

霜が降りるまでの命。



本日は秋空也。



 子育てが、一段落した気丈な貴女が教えてくれたこと。

「あの頃には大変だったけれど、

なくなってみると、サミシイ事ってあるものよ。」

娘が私に教えてくれたこと。

駅に娘を迎えにいった帰り、車の中の出来事です。




娘;「お父さん」

「大人になって、失うものってあるのかな?」


父;「そうかもな」

「君は、失いたくないものが有るのかな?」

娘;「〇〇〇かな」

父;「だが、大人になって得るものもあるんじゃないかな」

娘;「なあに?」

父;「シボウかな。」

娘は、メタボの私を見て十分納得。

娘;「欲しくなくても、身に付くものって他にもあるね。」

父;「なんだい?」

娘;「エン」



思わず、右手がポケットに向かう。



娘;「伏流煙」



黙って右手は ハンドルへ。

「自分は吸わなくても廻りが吸うとね~」



父は一人、夜のベランダで思索にふける。

時には台所で、レンジフードと語り合う。

たまには。。。車でタバコを吸った記憶が飛ぶ。

「お父さん!」


お迎え車は家路に急ぐ。。。


 「親の命あっての子供の命」
 
金曜日の朝、良妻賢母さんが呟いた一言。

はて?どういういみでしょうか。

「親はなくても子は育つ」という諺は聞いたことが有りますが。。。

なぜか気になるお言葉です。

ともかく。。。今朝も「行ってきます。」



私の前をセーラー服を着た外向き加減のあの娘(こ)が、歩いていました。

今、世間から聞こえてくるのは、何処からもカシコからも、

内向き思考のナレの果ての話題ばかりの気がしてなりません。

私の廻りでも、秋風に乗って外から聞こえてきたのは、

「一歩も社外へ出られない営業の方の風の噂。」

営業とは、(車内営業?失礼。)社内営業と見つけたり。

-はて、営業の極意のようでございます。-

とか、

「己のイタラナサを如何に隠蔽すべきかな。」

の話題ばかりでございます。

世間一般のアリフレタ風景なので、ございましょうか。。。

先見の明?一歩咲き(先)行く一手なのでしょうか?

例えば。。。

ニュースに見る,耳に聞く各種食品偽装の話。

まさしく、お客様を見つめるべきなのに。。。

(目の先にあるのは己の懐の中)

目を当てるところ,見当を誤っている気がします。

世の大人、特に私を含めた男性と呼ばれる歩く姿に、

自信を喪失した俯(うつむ)き加減から、

キョセイで世を歩く内向き加減を見ている気がしてなりません。

思い出します。

美しく話し、美しく歩こうの言葉。。。

あの娘は立派です。

大きく外に足を向け、

何時も(⌒‐⌒)を浮かべ。。。

/W\ オーキャク!ガニマタ! /W\

好きだな~。あ の 細 い 目。

「お早う~。」

小学校の時から変わらぬあの娘に告げられない事もある。

     \M/男は黙って内股加減。\M/


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