特待生問題を考えてみた。このニュースについては、賢者の方々がいろいろなところで
様々な意見を述べられている。この問題を例にとり、法律というものを考えてみようという
意見もあった。私は、賢者でもないし、教育者でもない。部外者かと言われれば、子供を持つ
親だから、当事者の一人かもしれない。そう考えれば、みんな当事者だろう。
結論から言えば、特待生は私学の問題ではないか。自由競争の世の中と考えれば、最早論議の
予知はないと思う。当事者の自由だ。ただ、家が貧しく、勉学の問題等等は詭弁だ。
現在の世において、喰うに困る家庭が有るのだろうかと思う。巨人の星の時代ではない。
第一今日日、高校野球で特待生にまでなる子は、小学校時代からリトルリーグに加入し、中学時代は
エースで4番、もっと恵まれた子供は、中学校でなんて野球はしない。中学校では学校のクラブは適当、
クラブチームに加入している。一般から見れば平均より上の家庭ではないだろうか。
スポーツの特待生が問題にされているが、冗談じゃない。世の中にはスポーツ特待生より、
勉強で特待生になっている子供の方が多いのではないだろうか。公立高校に特待生制度はないと
いうけれど、奨学金もぶっちゃけた話特待(特別待遇)のひとつだと思う。
高野連の方々は特待が越境入学、他府県からの入学の原因になっているとおっしゃる。
しかし私は、これは地域格差,教育格差の問題だと思う。どのスポーツもそうだろうが、
地方は施設,指導者の面で恵まれていない。スポーツをやっていた子供の中には、
中学校へ入る時点で、他府県の私立中学へ入学する子供もいる。他府県へ行かなくても、
学区外の中学へ入学する子供も少なくないだろう。勉強についても同じだ。
地元中学ではなく、私立中学へ進学する子供もいるではないか。
高校進学になったら、なおさらではないか。上に行きたいとは思わなくても、もっと上手になりたい。
もっと勉強がしたいと思ったら地方から出て行かざるをおえない。
地元で満足できない以上指導者,環境があり、なおかつ、特待でといわれれば、
誰だって傾くのではないか。卑しいと誰が責めることができるのか。
特待問題の裏側にある一つとして、環境の格差があるのではないかと思った。