2006年11月

 「Yは今も学校に来てないの?」
「今日は休んだ。 選択授業が午後から有る時は来ない。来ても昼から帰る。」
「いじめられるから。」
 Yへのイジメはどうして起きたか。
4月、皆が3年生になった時、クラブの担当教員がよその学校へ移動した。
先生はクラブ内の規律にはうるさく、子供たちに嫌われる存在だった。(少なくてもわが子には)
「規律よりも技術を教えてほしい。」わが子がよく言っていた。
私も時々、「クラブから帰った子供に、今日もクラスマッチの練習をしてきたのか」
とからかったものだ。
 新しい先生は競技の経験もなく、「子供達に遠慮してか?」あまり注意もしないし、
部活にも出てこない日が多かったらしい。(クラブ活動については、一部を除いて似た様な状況だが」
そんな中でYの態度が変わってきた。
  他のクラブ員を巻き込んで真面目に練習しない。ふざける。
  後輩のレシーブ練習の時、空気を抜いたボールを使ったり、取れもしない場所に
     ボールを投げる。(空気の抜いたボールは痛いそうだ)
  部活内の規則を破る。
  「真面目に練習しよう。」と注意すると、「真面目に練習して何が面白いの。」
     「何でそんなに一生懸命するの。」「馬鹿みたい。」
  注意したほかの部員(キャプテン)に水をかけて面白がる。
  終いには、他の部員(後輩達)に「あんたは、どっちの味方?」と脅しをかける。
 子供は注意をしても直らないYのことを先生に訴えたが、先生は「私が何とかする。」
と言うだけで何もしてくれなかった。逆に他の先生達には「クラブの状態はどうなっているんだ。」
「お前がまとめなければいけないだろ。」と注意を受けていた。
ついには子供の方がこの様なクラブ状態に悩み、”うつ状態”に陥ってしまった。
 この様な状態を見て、他の部員達は
「Yはどうなってるの。先生が居たときはいい子ぶってたのに。先生が移動した途端に変わるのか。」
「ヤルンナラ、先生の居るときからしろ。」「今は我慢しよう。先生も何もしてくれない。」
「今、私たちが騒ぎ出したらクラブが駄目になってしまう。」
「せっかく3年間やってきたんだし、このクラブを潰すわけにはいかない。」
「その代わり、もうすぐ引退だし、引退したら仕返しする。」と皆で決めたらしい。
子供はこの時精神も不安定で不登校に近い状態あったし、「Y」とスポ小が一緒だったのが理由だった
かも知れないが、この話に加えてもらえず後で知ったようだ。
「Y」は今も半不登校の状態らしい。

 私はYも知っているし、他の子供達も知っている。私はどうすればよいか判らない。

これを読まれた方。あなたならどうしますか。


  

あの女傑先生がついに ”自宅謹慎 ”自宅謹慎を食らったらしい。
女傑先生は音楽の担当であるが、音楽の実技試験を実地し
終了した生徒から音楽室を出て行った。最後から二人目の生徒のテスト中に
(この生徒は女傑先生のクラブの部員であった)
この生徒に「死ね!」と言ったという。
この暴言が教育委員会の知ることとなり、女傑先生は自宅謹慎となり学校を休んでいる。
同クラブのもう一人のクラブ顧問が「この事は無かった事にしよう。」
と働きかけているという。
現在、女傑先生は学校に出てきている。自宅謹慎は無かった。
「死ね!」なんていっていない。私用で休んだだけだ。
最後の生徒は「死ね!」という言葉は聴いていない。
学校側はこんな事件は無かったと発表している。
しかし、当の本人である生徒は「先生に死ね!と言われた。」と言っている。
”オフレコ”であるが、
あの先生はいつも生徒に「死ね!」と言っている。
その他にも「あんたがバカで出来が悪いのは、親がバカだからだ。
遺伝子のせいだよ。」とノタマッテイル。
あの先生は「絶対に死ねといった。」
という証言が関係者から寄せられている。

我が家のわがまま娘は、中学校1年の健康診断で貧血気味と診断された。
それ以来わが家の食卓にはたびたび惣菜売り場の鶏レバが並ぶ。
「あなたは貧血なんだから、鶏レバを食べなさい。」
良妻賢母の雄たけびがこだまする。
娘は悲しい顔をして、私の皿の中にそっと鶏レバを追いやる。
なおかつ、夕食に彼女が残した鶏レバは私の朝食となっている。
花の中3となった娘が、注射で貧血をが治療できることを
クラスの男友達から聞いてきた。(その子も貧血気味だという。)
良妻賢母のいないときに娘がつぶやいた。

「 不味い物を食べるくらいなら、痛い思いをしたほうが良い 」

私も鶏レバのあの食感、臭いは好きになれないが、注射も嫌いである。
「 不味い物は食べたくないし、痛い思いもしたくない。」

 中学校のある部活内で”いじめ問題 ”が発覚して、そのクラブで保護者を集めての緊急集会が
開かれたらしい。最初は現役の1、2年生が対象だったらしいが、3年生が在籍していたころから
”いじめ ”があったという事で引退した3年生の保護者も招集を受けた。

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余談だが、その話を教えてくれたお母さんに私は思わず聞いてしまった。
「先生が苛めたんですか?」クラブ担当の先生は遠目から見るだけで女傑とわかる逸材だ。
冗談はさておき、誤解があるといけないので、その部活は文科系とだけ言っておこう。
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 その集会で女傑先生は何尾言ったか知らないが例によってまくしたてらしい。
それを聞いた3年生の保護者の一人が、「それはおかしい。」と立ち上がろうとしたところ、
廻りの保護者から、「何も言わないでください。私たちはこれを3年間我慢してきたんです。
今更これ以上揉め事を起こしたくありません。もう少したったら卒業なんです。」
と思いとどまらせたとの事。

 ある保護者のつぶやき。
「この中学校は変わった。学校が荒れていたとき、先生達は夜各家庭に訪問等してまで
生徒と話し合い学校を立ち直らしたのに。あの頃の先生は大部分転勤してしまった。
残った先生はベテランになって、偉くはなったけれど。」

 この話をした時の子供のつぶやき。
「お父さん、3年生は今まで皆な我慢してきた。もう少し我慢したら卒業できる。
もう、面倒な事にかかわりたくない。かかわったら、今度は自分が苛められる。
皆なかかわりたくない。先生は信用できない。何もしてくれない。そう皆な思っている。
この中学校で何もいいことはなかった。」

「そうか。」私は何も言えなかった。
この子が、かつてクラブ内の ”いじめ問題 ”に立ち向かい、先生にも何度も訴えながらも、
何の援助もしてもらえずボロボロになっていく様をこの目で見てきたから。

子供は小学校4年生の終わりまで、私の仕事の都合で8度引越しを繰り返した。
「幸か不幸か」その間1度もいじめに会ったことはなかった。
4年生の終わりから通っていた小学校の6年生の夏休み前、とても悲しそうな表情で帰ってきた。
聞けば、返り際のホームルームの時間 ”O ”さんが突然立ち上がり、
「先生、先生はxxさんを贔屓してると思います。」と自分のことを訴えた。
「そんな事はない。」とうろたえる先生に追い討ちをかけ、クラスの自分の仲間に
賛同するように挙手をさせたという。
子供は前から、 ”O”さんの仲間に入るようにそれとなく誘われていたが、人を子分のように扱う様や
自分グループ以外の人を”いじめる”様子がいやで、無視していたという。
子供がもっともショックを受けたのは、同じクラスにいた2人のスポ小友達の内の一人の”Y”が、
廻りからつつかれて、手を上げた事だった。”Y”は6年生になってスポ小に入部したのだが、
同じ仲間だから、仲良くやっていこうと思った矢先だという。
「庇ってくれなくてもいい。庇えば、その子も、いじめられるから。
でも、たとえ廻りから突付かれても、手を上げたのが許せない。
仲間だと思っていたのに。一生許さない。」

家内が懇談会に行った時”O ”さんの事が話題になった。
他の父兄からも色々な苛めを受けているという声が上がった。
他の父兄が「 ”O ”さんの親に言っても無視される。」と嘆いていた。
担任の先生はその時「あんな子は中学校に上がってダメになりますよ。今までもそうでした。」
といったという。

子供はどのように思っていたかわからないが、”Y”とは、小学校の最後まで一緒にスポ小
をやり、校区が別だったため別々の中学校へ進んだ。
ただ、二人とも中学校でも同じクラブに入り、練習試合や大会では話をしていた様だ。

”O ”は子供と同じ中学に進んだが、中学校では誰にも相手にされず、そのうち不登校になった。
子供とは2年生のクラス分けで同じクラスになったが、2度と会う事もなく、
他の中学校へ転校していった。

子供は今では ”Y”や ”O ”の事をどう思っているのだろうか。
何か切ない思いがする。

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